音楽連続:ホワイエモーション!!? ver10002
言語が連続すると情動的になる
音のひとつを個別に認識することは「これはドラムの音」だなと言語でイメージできるのですが、それが連続するととたんに情動的になり、言葉では言い表せなくなります。
これを言語が連続しある関係性をもった時空連続体としてひとつのゲシュタルトをもった集合として感じると言語空間から飛び出てしまい、非言語空間のもっと大きなゲシュタルトと高い抽象度のイメージを触発させる効果、つまりこの効果は音楽として今世に幅広く認知されています。
小説においての音楽
シークエンス内であればどんな条件下でもエモーションが喚起させられるかは時空連続体の関係性においてです。
ここにある小説があります。本文はこうです。
レタスとハム、そしてチーズを冷蔵庫から取り出した。時計を見ると2時を指している。山下とセックスをした後だからお腹がすいてしまった。
この場合、音楽として機能しているのは、まずレタスなどのお腹すいた系情動を喚起させています。レタス単体では効果は薄いものの連続してハムとチーズを表現するととたんになんかの料理のゲシュタルトを喚起させてしまいます。この時サンドイッチ食いたいなぁとお腹ぺこりーなっていう感情が働きます。誰もサンドイッチなんか言語を使っていないのに。
そしてその後に音楽として連続するのは時間が2時だということです。お昼かな?それとも深夜かな?村上春樹かな?すると深夜2時の景色や静けさが記憶から蘇ってくるわけです。
その後山下という生物とセックスをしたと連続します。間違いなくエロいことをしやがってうらやましい。山下という生物は間違いなくかわいい。と行った疑惑まで思い浮かんでしまうでしょう。この時、感情はエロいと同時にEvilな気分にもなります。
このシークエンスでは何を表現しているかと言えば、べつに何か大きなゲシュタルトを表現しているわけでもありません。
逆に夏というシークエンスを表現したい場合を考えましょう。
最低限、夏というゲシュタルトを言葉で表現するには何と何の関係性で表現できるでしょうか。
例1
猫 ー 道路
これだけでは夏を表現できていません。猫単体の個別的な特殊性は関係なしにして、猫と道路の意味ポジションの数値化したものをどれだけ関係しているかで計算しても夏には届かないでしょう。夏は数値化できる?
例2
もうこの時点で夏です。夏になったらガリガリ君。間違いなく暑いですし、夏です。
例3
間違いなく夏です。だってあの映画みたら夏っていいね!って思うでしょ。特に欧米人とかが(欧米か!)日本の村フェスティバルを知らないのに、独特の空気感を特別視したりする効果もありますし。おもいっきり夏を想定した設定の絵コンテばっかりなのでああなってしまうわけで、これはもはや夏のゲシュタルトを作った成功例でしょう。
この効果は果たして音であれば音楽MUSICとして表現していますが、これは適切な表現なのでしょうか。