大阪わが町プチナショナリズム
携帯電話のSNSゲームに夢中になっていたら、ボクの名前を呼ぶ声がする。
「駅長さーん」その子がお弁当箱をもって汽車のほうへ走ってきた。
ずいぶん朝夕が涼しくなって過ごしやすくなったものだ。
本文とは関係ない。
この日記はタイトルと関係ない。
未だに完全に読めていない本ベスト1
カフカの城
290ページ目で断念しました。
そしてそれを凌ぐのが
なんと一冊丸ごとカフカの城のようなページ数と内容
なのに、それが9巻あるんですよ。
えいえんたらたらと実存について書いています。
最近ショックだった出来事がありまして、
ベスト1
映画バックトューザフィーチャーの一部のシーンが
ノーカットで撮影されてたと思ってたら
2カットだった。
ちくしょー!
でもそのあと絶妙なカメラワークと演者のスキルが観れました。
この映画は1985年に公開されています。
DVD特典には、脚本家の外人がこの映画を作ったキッカケはみたいなことを語っていました。
「僕らの青春時代とオレのオヤジの青春時代はちがうんだぜ、もしオレのオヤジの
青春時代にタイムスリップしたらどうなるんだろう、ワイルドだぜ」
1985年の時点で、すでに1965年と1985年の青年の思春期は
かけはなれたよーに思えたのでしょう。
この映画は、でっかいハリウッドのスタジオに、「1985年の人々が描く、1965年の青春時代」という幻想を再現しました。
ラジオからはカントリーが流れて
GMフォードのオープンカーで海岸の女をさらうのがヒッピーだった時代。
その時点でも、すでにファンタジーの1965年の世界です
ましてコメディタッチの映画ですし、
映画ですし、
まったく本当の1965年とはだいぶ違っていたかもしれません。
まして1990年代の日本人が思い描く
1985年のステレオタイプなアメリカの家庭は
今でも永遠に記憶の隅に行き続けているのでしょう。
いつでも思い描く理想と、現実は違う。
だが理想を描くことを苦しみ、やめることはあんまりよくないとわかりました。