ゆとり世代に共通する意識を追求する 03
今回は言葉のイメージということについて書きます。
ようやく本題に入れそうです。
言葉のイメージには強力な構造があります。たとえば、ヲタクという言葉でステレオタイプな
一般的ヲタクのイメージが脳内に浮かびます。そしてヲタクと呼ばれそうな人をみると
脳内にあるヲタクのイメージと照合して、その人物とヲタクのイメージを照合し
見事イメージが合致したとき、そのひとはヲタクじゃなくても、ヲタクとして認識して
しまいます。
しかも、何故かそのヲタクと認識された人間は、無意識的にヲタクという自覚を持ってしまい
ヲタクのイメージの範疇から脱出できなくなります。
不思議ですよね。
ここでは一切コミットメントはありませんが、誰かがその人物にイメージをつけると
その人物はそのイメージ内でしか行動できなくなってしまいます。
怖いですね。
このことに関しては、苫米地英人系の本で「内部表現」として登場します。
なので、自分で「わたしは~~系で」
という自覚があるだけで、その人間の行動は、その自分のイメージにもっていかれてしまうのです。
では、たとえばですね、超自我や、無意識に収められた、他人から植え付けられた自分の
イメージがあったとしましょう。
無意識でもその言葉のイメージにとらわれてしまいます。
あなたはきっと過去の失敗の二の舞や、過去のイメージの範疇どおりの行動を
とらざる終えないでしょう。
怖くて、残念な事実ですが。
過去に超自我に、TVの間違った情報や、近所のカルト的存在の洗脳が植えつけられていれば
自分は意識しないのに、勝手にその無意識に収まっている自分のイメージがあり、
パーソナリティを形成していっちゃいます。
そのイメージを植えつけた人物に新密度があればあるほどそのイメージの洗脳は強力になります。
たとえば、近年TVが自分の部屋にあって、そう大人になるまで自分の部屋で一人でTVを
見れる家庭が多い(?)のですが
TVという媒体にも親密感がでると思います。
ちょっと古臭い話ですが
「隣に座っているクラスメートの女子よりも、TVのアイドルのことを知っている」
ちゅー話が90年代あったんですけども。
それくらい皆さんはTVにでているタレントや、アナウンサー、評論家のような人間に
「親密感」を抱いたことはありませんか。
その親密感を抱いた人物の情報を鵜呑みにしたり、そのタレントのしぐさや格好の
真似をしてみたり、イメージを作り出していって自分を補正していくのは
近代社会では誰もが通る道だと思います。
TVタレント出身の政治家が、立候補して圧倒的に票をあつめて政治家になったりしていますが
あれも、TVという一家に一台あるツールを使って、親密感を相手に与え、
票を集めてしまう格好になるのですね。
80年代終わりころ、近所のおばさんが小規模カルトを作り出すという現象が、たしかあったはずです。
専業主婦は昼間ひまなので、TVのワイドショーをたくさん見たりします。
そのTVのワイドショーの中に、ある危険な情報があったとした場合
そのおばちゃんは、「TVでこんなこといってたわよ!!あなたも早くやりなさいよ!アムウェイ!」
とか近所にいい振り回したりしたとか。
しかし、もっと危険なツールが85年に登場しました。「TVゲーム」です。
次回、もっと追及します!。